とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

また村八分か・・・

主にネットニュースで記事になっていますが、大分県中部の都市で村八分があったと。
大分市内に住んでいた方が、障害のある子供のために県中部の都市に引越しをした。
引越しをする際には、自治会の人からの奨めもあり、力になってくれるということで決意したとか。

ところが、引越ししてから自治会の人と揉めて「村八分」にあったとか・・・

自治会に入っていないのでゴミ集積所が使えなくなったり、無視されたりしたらしい。

以前にあった村八分では、関西地方に住んでいた人がUターンで戻ってきて「村八分」になっていた。
しかし、今回は同じ大分県に住んでいた人。

どこの県でもあるように地域によって文化などが違うことはありますが、大分県の場合は村ごとに違うと言っても過言ではありません。閉鎖的な九州の中でも、個人的にはダントツで閉鎖的な県は大分だと思っています。

鹿児島も、他県に対しての偏見もありますし、実際に感じたり言われたりしました。熊本も、九州の中心という意識だったり閉鎖的な部分もあります。商業の町として発展した福岡はあまりありませんが、それでも、博多っ子というブランドみたいなことを感じることはあります。

長崎は、昔から唯一の海外との窓口だったのか、あまり感じることはありませんでした。
日本の中で、田舎にいけば大概は余所者という扱いは受けるわけですから、田舎で開放的なんて発想は全く持っていません。

どこに行っても、地元に昔からいる人が偉くって、都会に出る奴は「都会かぶれ」という言い方としてきます。まあ、いいですけどね。

不思議なのは移住しやすい町とか市として大分県の場所がランキング上位に入っていることが多く、テレビでも取材されていたりしていました。

今回、村八分があった市というのも、ランキング上位で紹介されたりランキングトップとして紹介されている番組もありました。

移住しやすいという部分は、全く共感できませんでした。
移住しやすい市とか紹介されている場所で何度もニュースになるくらいの「村八分」が起きるという事は、矛盾しています。

大分市内に住んでいた人が「村八分」になるくらいですから、他県や九州以外から移住なんてのは、かなり厳しいでしょう。

テレビでの紹介番組では、市の人とかが住む場所として空き家を紹介してくれたり、仕事の紹介なんかもしてくれている場合が多いですが、そこに住んで同じ仕事をずっとする場合はいいのですが、引越ししたいと思ったり、仕事を変えるとなると話は変わってきます。

仕事は、ほとんどないです。仕事がないから、若者は都会に出ていって人口が減っています。
交通機関も、少ないし本数もないので通勤が出来ないので、都会に引越します。
少しでも都会に出て、情報を得たり変化している町を見ていると、田舎には住みたくなくなります。

交通機関が少ないので、自家用車がメインになりますが、高齢者の事故が増えて免許を返納するように言われています。地方では、車がないと病院にも買い物にも行けません。移住した時はいいかも知れませんが、その先はどうするのだろう?

田舎は閉鎖的でいいのです。知っている人達で今まで通りの生活をするのがいい人達です。
それがいいから、そこにいる。

田舎が嫌な人は都会に出る。それでいいんです。

田舎に変な憧れを持ったり、助長するような番組だったり雑誌記事が問題なんです。
市や町の役場も・・・

大分県中部の役所に行った際に、業務中でも職員が将棋をしていた光景は忘れません。
田舎の嫌な部分も嫌というくらい実感し、今でも嫌な思いをすることもある。
だから、都会へ早い時に出たし、一度も戻りたいなんて思わない。

住んでいる所で、ゴミ収集場所が減らされるということで、管理している会社から別の場所を指示されて出していたら、その場所は使っている人で管理している場所だから出すのを止めてくれとクレームがあったらしい。
後日、管理会社から別の場所に出すようにお知らせがあった。

地元の管理会社なのに、知らなかったのか・・・と唖然としたけど。

都会でもゴミ収集の問題は発生する。

ただ、都会の場合は回避する方法がある。田舎の場合は、人数が少ないなどで収集する場所が1箇所しかないなんて場合もある。
そこで、村八分にあってゴミも出せないとなると、どうなるだろう?

誰が考えても困るのは目に見えている。それでも、ゴミを出せないようにするというのは他人事だから知らないという事なんだろうか。

今回の件でも思うのは他人事とは言え、他に方法がないような困ることに関してはやってはいけない。

そこに住んでいる人で、手を差し伸べる人はいなかったのか?
村八分にあっている人を助ければ、きっとその人も村八分にあうのだろう。

だから、誰も助けない・・・これって、今のいじめの構造と同じ。
結局、子供のいじめが無くならないのは、大人の行動を見ているから。

困った人がいたら、助ける。人間としての基本だと思う。
それで、村八分にあうような場所なら、当然そんな場所からは離れるべきだ。
そんな土地に住む価値があるのか?そんな人達と一緒にすむ価値はあるのか?

人間として正しいのは、どちらの考え方だろうか?