「聲の形」という映画に関して書かれていますが、「いじめ」の被害者と加害者について立場が変わっても許せるのか?許せないのは危険だ!とか、そういう意見が双方で書かれているわけです。
歴史の中で見てみると、「決して許されることはない」というのが正解なのかも知れません。
「いじめ」とは違う感覚なのでしょうが、明治維新で徳川幕府を倒して明治新政府を作る中心となったのは薩摩、長州です。薩摩藩は、どちらかと言うと長州に加勢して戦った感がありますので、やはり中心的な動きは「長州藩」でしょう。
さて、「長州」と書くとわかりにくいですが要は「毛利」なわけです。そう、関が原で西軍の総大将として戦った(?)毛利家です。
結果は、ご存知のように西軍は負けて毛利家は120万石から36万石に大幅な減封となり本拠地も萩に移転するはめになりました。
それから、時代が進んで幕府の力が弱まって幕府打倒に向けて動き出したわけですが、大政奉還で徳川家が一大名となっても、攻撃の手を緩めませんでした。
本来なら、一大名と言っても石高でも政治の経験値でも比べ物にならないので、そのまま政治に関与させるのが得策なのですが、許せなかったのでしょうね・・・
徳川宗家は、江戸城の無血開城で大きな犠牲もなく残るわけですが、腹の虫が治まらないのか、奥羽越列藩同盟が犠牲になるわけです。
ここでも、遺恨は残っていて福島(会津)と鹿児島(薩摩)は未だに関係が良好でないとか、最近になって和解したとかどうとか・・・
また、薩摩が西南戦争で戦場となった際に、多くの福島の人が志願したとか・・・
「いじめ」をしたほうは忘れているかも知れないけど、やられたほうが何百年経っても忘れないのだろうし、人の恨みは恐ろしい・・・わけで。