とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

空手は型で強くなるのか?

 オリンピックで清水選手が型で見事に銀メダルだった。金メダルの選手と技術的な差は皆無だった。あとは、印象点でしかない。こればかりは、明確な採点基準がないので、どうしようもない。

 ところで、報道の中で「型をやっている人は強いのか?」という質問が出ていた。これについては、答えは簡単だ「強くはならない」だ。その番組の中では、「強い」と言っていたが、それは相手が素人の場合だ。それは、どんな競技でも同じだ。

 そもそも、型をやっているからと言っても、型だけをやるわけではない。型に出てくる基本の動きを練習した上で型ができる。いきなり、型はできない。基本ができた上での型だし、型がうまくなるには基本がうまくないといけない。型を見れば、その人がどれだけ練習しているかがわかる。

 型以外にも、「約束組手」で対人の練習をして、実際に物に攻撃を当てる練習を「巻藁」で行う。これが出来ないと殴っても自分が怪我をするだけだ。今回の型の中で、貫手と呼ばれる指を伸ばして攻撃する場面があるのだが、あの速さで打てば間違いなく自分が突き指する。実際に、物に当てて指を鍛えるか、当て加減を確認しないといけない。同じように、手刀の部分も硬い物を叩いて鍛える必要がある。

 型だけでは、型の中で出てくる攻撃も使えない。だから、型だけでは強くはならない。

 ところで、型の「チャタンヤラクーサンクー」の説明で「北谷(チャタン)の屋良(ヤラ)さんが考案した型」という説明がされていた。ちょっと、違うなーということで解説。そもそも、「公相君(クーサンクー)」という型がある。公相君小と公相君大で、これは、沖縄(琉球王国)に来て、拳法を教えてくれた人の名前か役職名と言われている。君というのを考えると、何かしらの役職じゃないかな。つまり、この公相君が伝えた型をベースに「北谷村の屋良さんがアレンジした」が正解だ。ニュースの解説も酷いものだ。

 ところで、沖縄は元々琉球王国で、中国とも近く貿易も盛んだった。当然、中国からの影響が大きく、中国から伝わった中国拳法をベースに沖縄で「唐手」が誕生した。ところが、江戸時代に突然薩摩藩琉球に侵攻して、薩摩藩が占領してしまった。薩摩藩は、琉球を通じて中国との貿易を望んでいたからだろう。そこから、日本の影響下に置かれるようになる。

 日本の影響下になって、沖縄から唐手が入ってくるようになり、日本でも唐手を学ぶ人が出てくる。しかし、当時の唐手は型と約束組手だけで今のような自由組手はない。どの拳法などでも基本的には、身を守るために使うもので、他人と競って戦うというのは考えていない場合が多い。

 しかし、大学などで練習していると、やはり自分の技量を試してみたくなる。そこから、試合形式の自由組手が誕生する。そういう意味では、本来の唐手には自由組手は存在しない。もっと言うと、昔の唐手は、型に出てくる技しかないので、ボクシングのフックのような技もないし、回し蹴りも存在しない。当然、ローキックも。

 唐手が中国色が強いので、空手になり、ルールも色々変化した。元々、唐手には「流派も会派もない」のだが、日本流に流派や会派ができた。それぞれが、試合のルールや練習体系も変えていった。

 これが、オリンピック種目になるのに影響した。統一したルールがない、団体もバラバラ。これでは、オリンピックの正式種目にはできないということだ。実際に、テコンドーはWTFITFと大きな2つの団体があったが、オリンピックのために、お互いに協力することになり、オリンピック種目となった。

 空手は、あまりにも流派、会派が多い。伝統派と呼ばれる流派だけでも、日本空手協会糸東流剛柔流和道流の4大流派があり、それ以外にも4大流派から派生した流派や、独自の流派も存在している。琉球王家だけに伝わった本部御殿手なども。これに、極真会館を代表するフルコンタクト空手があり、これも多くの流派がある。Kー1で有名な正道会館は、このフルコンタクト系だ。

 日本少林寺拳法経験者からフルコンタクト空手を始めた流派など、多種多様。更に、試合の時に剣道のような防具をつけてポイント制で試合を行う防具空手の流派があるなど、あまりにも流派も多く、ルールも全く異なるため、空手は人気があるのにオリンピック種目にならなかった。残念ながら、これらの流派が一緒になることは非常に難しい。そもそも、本来の唐手に自由組手が存在しないだけに、どんなルールでも有りといえば有りだ。

 すでに、オリンピック競技として定着している柔道は、成り立ちが違う。「柔道」は、そもそも嘉納治五郎先生が天神真楊流起倒流という柔術を学んで、「嘉納流柔術」とも言える柔道に繋がる技術体系を作った。嘉納流という1つの流派と言えるので、ルールも統一されていた。それでも、昔に比べて変化している。本来の柔道は、当身(打撃)もあり、打撃で怯んだ相手を投げるというのも、普通の技術だった。その本来の柔道の技で世界中を回った前田光世が、ブラジルで教えた柔道がブラジリアン柔術となって、日本にも逆輸入されている。

 ルールも練習体系も、統一されている柔道は、オリンピックに向いていた。というか、嘉納治五郎先生が教育者でもあり、オリンピックの日本招致に熱心に活動されたので、その影響も大きいだろう。

 剣道も、色々な流派があるが使う道具が統一されやすく、当てる場所も限定されるので、ルールも統一されやすい。世界的な競技になるには、統一されたルールは重要だ。

 ただ、最近の柔道を見ていると「なんでもかんでも国際化」するのはどうかと思う。投げているのか?転がっているのかわからないし、投げられても背中がつかないと有効にならないので、投げられても顔から畳に突っ込んでいるところを何度も見た。いや、むしろ危険だって。

 青い道着だって、疑問だ…白い道着同士だと、わかりにくいということらしいのだが…

 時代に応じて、ルールも練習体系も変化していくというのが進化なのかもしれないが。