とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

昔から「責任者ってだれ?」って感じだったのね・・・

歴史の勉強をしていると、今更ながらに「???」と思うところが沢山ある。室町幕府って、足利尊氏日明貿易で有名な3代将軍義満。
それから、13代の将軍の義輝は、新陰(影)流の免許皆伝の腕前だったということで知っている。最後の将軍として義昭も織田信長との関係で出てくることが多い。

でも、そのほかは知らない・・・室町幕府と言えば、北朝南朝とか、今人気の「応仁の乱」というイメージしかない。
応仁の乱の前に、永享の乱というものがあり、それが応仁の乱に続くものだった・・・という話を聞いて、当時の将軍足利義教を初めて知った。
義教は、嫡流ではなかったため、お寺に僧籍として出家していたのだけど、いつものパターンの後継者がいないという理由で還俗して将軍になった人。

当時の考えでは、還俗というのは一度俗世から逃げたというイメージらしく、武家の社会では信用されないらしい。
その反動なのか、結構酷いことをやっている。比叡山も攻め込んでいる・・・僧籍だったのにね・・・

室町幕府は、京都にあって鎌倉は関東を管轄していたのだけど、鎌倉公方足利持氏と関係が悪く、最終的には戦になり足利持氏が破れ自害したのが、永享の乱

問題なさそうに思えるのだけど、鎌倉公方がいなくなってしまうわけだから、これ以降関東が騒乱の時代になった。応仁の乱の前に、関東周辺は既に責任者不在、統括勢力の不在という形で混沌としていたと。

幕府という組織も変わっていて、鎌倉幕府の時代でも幕府を興した源氏は3代で途絶えてしまい、北条氏が執権という形で政治を行っていた。
将軍がいなくて、執権になったのか・・・程度の認識だったけど、実際には征夷大将軍は京都から派遣されていたりして、存在していた。

征夷大将軍を補佐する執権が実権を握って政務を行っていた。もう、この段階で無茶苦茶。
本来は、天皇を主体とした朝廷で政務を行うのを、征夷大将軍が変わって行うというのが「幕府」のはず。その幕府の責任者が、「執権」に任せる・・・という段階で、もう誰が責任者なのか・・・

元が襲来したときも、事前に使節団が来ていたけど「この国の一番偉い人は?」と聞くと「天皇」と答えられて、天皇に会おうとすると「いや、今は鎌倉で征夷大将軍が幕府を開いて担当している」と言われるんだろうな・・・

そこで、鎌倉に行くと「いや、今は北条得宗家が執権として政務をしている」・・・って言われる。もう!なんやねん!!!

ってなことを思ったんだろうな・・・執権と話をしても、外交になると「朝廷の意見も聞かないと・・・」なんて言われたら、どう思ったんだろう。

鎌倉幕府は、終盤になると「執権」ですら力をなくして執権を補佐する「内管領」が力を持ち実権を握っていたから、もう・・・なんなんやろ。

その鎌倉幕府を倒して次に室町幕府が出来るのだけど、最初から北朝南朝という形で対立し、京都にいたもんだから朝廷勢力との関係もあり最初からごたごた。

将軍も若くして亡くなったりするので、年少の将軍ばかりで力がなく、結果部下である管領とか守護大名が力を持ち、応仁の乱から戦国時代という事になってしまう。

結局、責任者が不在になった瞬間に色々な勢力が争いを始める。責任者不在というのは、恐ろしい結果を招く。
そういう会社って多いよね・・・責任者って誰なんだろう???って感じの。