最近も、「韓流ドラマ」を定期的に見ている。どのチャンネルでもなにかしら放映しているくらい。
歴史物が好きなので、基本的には歴史物を見ている。一番最初に見たのは、歴史物ではないけどおもしろかった「華麗なる遺産」だった。
それから「善徳女王」を見て、これも面白かったけど頭に???が出る場面も多かった。
「大王世宗」は、言葉だけは知っていた。そう、イージス艦の名前で。そこで、世宗に関係する番組も放送されていれば見てみた。
あくまでも「ドラマ」なので、当然フィクションが多く含まれているという前提で見てみても不思議なことが多かった。中国ドラマの「三国志」「項羽と劉邦」では違和感は感じなかったのだけど・・・
李氏朝鮮時代の王様というのは全体的に王に力がない。王族間の権力争いも凄い。本当にドロドロだ。
結果的にそれが王族の力を弱める結果になるのは明白なのだけど・・・
王に力がないというのは、そもそも朝鮮の王は、高句麗の将軍がクーデターを起こして出来た国という事もあって、王家の正当性という部分で負い目があったように思う。
家臣からすれば、「王にしてやった」という意識が強いようだ。それに、明の影響力が当然大きくて、王や世子(次期王)を任命するのも明の認可が必要な状態だった。
所謂「属国」だ。
王に忠誠を誓わずに、中国の皇帝を重視する家臣団も多かった。そういう意味では、王は王だけど、皇帝の下の王という意識が一貫してあったので、そこを意識してドラマを見れるようになると理解しやすかった。
天皇陛下の事も、韓国は「日王」と呼ぶのだけど、これは自分達より下の日本も当然「王」であるべきという思想だからだろう。日本の歴史を知っていればわかるけど、日本に関しては、当然中国からの影響はあるけども、代々皇帝の認可がないと決めれないことなんてない。
貿易、文化的な影響はあっても、政治的な影響力は大きくない。
朝鮮は、とにかく日本(倭)も後金も蔑んでいた。後に明を倒して清を建国する女真も野蛮と言って蔑んでいた。
ドラマを見ていても、とにかく自分の国が文化的にも一番優れているという感じが沢山出てくる。世宗がハングル文字を開発するのだけど、他の野蛮な国のように漢字を捨てて自国の文字を使うのか?と大騒動になっていた。
不思議なのが漢字を使っていても、使う言葉は朝鮮語。それをどうやって表現していたのか?不思議だ。
ハングルというのは、発音にあわせた文字なので優れていると思う。当然日本語は、発音を表現するのに「ひらがな」が存在するので問題ない。
ドラマ全体で王族同士の争いに家臣同士、派閥争いが凄い。話の大半がこれ。とにかく酷い。ドラマの中でも、「こんな事ばかりやっていては政治ができない」と言う場面が出てくる。自分達の権力とか有利になるためには、国事は関係ない。そんな感じだ。
それをドラマの中でも、嘆く場面が多い。それに印象に残っているのが、明の使者に朝鮮が女真族から攻められたら、責任は明にあると責めていた。
頭の中で???????となったのだけど、明と朝鮮は兄弟の関係だから、兄である明が弟の朝鮮を守るのは当然ということらしい。常にこの感覚があるように感じた。そのため、朝鮮は国防という意識が少ないように思った。
秀吉の朝鮮出兵でも、王は逃げて明に助けを求めている。強大な国家である明と兄弟関係であることを重視して、自分の国でなんとかするという考えは少なくなっていったのだろう。
世宗から王位継承でもゴタゴタが凄い。次の王は、世宗の子供の文宗が継承するのだけど、病気で2年ほどで亡くなる。次は、文宗の子供が継承し端宗となる。ここで、問題なのが年齢。11歳で即位するわけで、当然力はない。そこで、家臣が台頭する結果になる。世宗の次男の首陽大君がクーデターを起こして、自らが王となり、世祖と後に呼ばれることに。
ここからが酷い。甥にあたる前王の端宗を死においやる。兄弟も、ほぼ全部殺してしまう。王自ら進んでやったのかわからないけど、王の配下の連中は、前王の息のかかった物達が力を持って同じようにクーデターを起こされた時には、自分達の命がないから、なんでもいいから口実をつけて王に処罰を願い出るというパターンも多かったようだ。
このパターンは、以後の時代も多く出てくる。とにかく、王族が殺される。
王族と組むもの、明の勢力と組むもの、国内だけでも王の力は限定的なもので、家臣のほうが経済的に豊かだったのも多い。
王が交代すると前王の配下であった人物は、排除される。排除というか、罪をでっちあげて拷問して、自白させて処刑。いつも、このパターン。
なんか、現代でも同じような状況だったような気がする・・・
王が変われば、配下は命の危険があるから、王が力を持っている間に力を持っているものを排除する。結果、人材が減っていく。
次に不思議だったのが王の名前。有名な「大王世宗」も宗で「祖」ではない。「祖」のほうが功績があったためで、王の名前がないのも「燕山君、光海君」がいる。これは、暴君ということで、王として認められなかったため。王は、現役の時代は「王」だから、その時代に「世宗」とかでは呼ばれない。王は1人だから「王様」でいい。
死んだ後などに決められる。「燕山君」は、確かに暴君だったようだけど、「光海君」は疑問だ。最近は、見直されているようだけど、光海君は秀吉の朝鮮出兵の時に、王は都から逃げたのに、残って戦った。後に王となったら、「女真族の後金」の力と「明」を比較して、後金との関係を強化していた。
更に、自国で兵器の開発なども行っていたようで、それを明は警戒していたとか。明から警戒されるから武器の開発を重臣は反対していた。ここも不思議だった。自国で自衛のための軍事力の強化というのは必要なこと。それに、この時代は秀吉の朝鮮出兵の後の話だから、普通に考えると必要なこと。
普通に考えたら、王として問題ないと思うのだけど、秀吉の朝鮮出兵の時に逃げた王は「宣祖」で光海君の次は「仁祖」なんだな・・・仁祖なんて、明との関係を強化して、明が後金に負けて清が起こった後は、清の属国となり子供を人質に出している。
どう考えても、光海君のほうが優れているのだけど・・・
全体的に、????となる事が多いのが韓流の歴史ドラマ。感覚的には、昔の中国のほうが日本は近いなと思ってしまう。
韓流の歴史ドラマを見ると、今の韓国の状況も少しは見えてくる。良いとか悪いとかではなく、「そういうもの」なのだ。
日本だって「島国根性」と言われても、変えれないし変えることは出来ない。だって、島国だもん。
光海君のドラマで秀吉の朝鮮出兵の場面が出てくるのだけど、ちょっと酷い。当時の具足を付けた日本の兵を切るのだけど、切れるわけがない。兜と鎧でガチガチに固めた武将は切れないのだ。矢も通らない。なので、戦国時代の戦いは隙間を狙う。
一方、皮製の鎧しか着ていない朝鮮側には矢でも刀でも攻撃できただろう。当世具足という火縄銃でも通らない鎧を着て、切れ味抜群の日本刀を持った秀吉軍には勝てない。
当時は、世界的に見ても火縄銃を一番持っている国。秀吉の本当の目的は、戦国時代が終わって余りまくった過剰な兵器を使うためとも言われている。
最近でも、使用期限の近くなった爆弾を使うために戦争を始めたとか言われている戦争もあるくらいだから。
でも、武力があったからと言っても他国に攻め込むのはね・・・戦国時代に生きた人の感覚は今の自分にはわからない。
韓流ドラマは、フィクションとしてのドラマとして見るのは以外におもしろい。ただ、あくまでもフィクションが多く含まれているという前提で見ないといけない。
日本刀と思われる刀が頻繁に出てくるものも多い。これは、「日本刀」の発祥が韓国だと言い出したからだろう。ちょっと昔に製作されたドラマには反りのない直刀しか出てこない。
日本の兵隊も出てくる。足軽という感じで胴に防具と頭は陣笠。槍ではなく、刀を持っているけど、2刀差し・・・足軽でそこまで持っている必要はないし、通常は槍。
短い刀(小刀)は、脇差で、最低限の自己防衛用な装備で、基本的に組み伏せてから攻撃する場合に使うものだから、槍が持てれば確実に有利。
鉄砲が大量に装備されるようになった時代であればリーチの短い刀はね・・・
なんて事を考えながら見ることになるけど、知らないと昔から日本刀があったのね・・・なんて思ってしまう。
戦術についても疑問なところが多い。平野での戦闘場面で、かなり前方に鉄砲隊や大砲を配備している場面があった。開けた場所に障害物がないと簡単に騎馬隊や歩兵隊に密接されて無力化されてしまう。
簡単な柵や土塁などがあり、かつ左右から回り込まれないように歩兵隊で囲むなどの対策が必要。
更に、弾を補充する時間は、弓兵にて援護するなどの支援も必要。
もっと贅沢を言えば、弓兵の前に長い槍を装備した部隊があれば騎馬隊の突撃を防げる。射程が長い鉄砲は、後方でもいい。敵を引き付けて鉄砲で攻撃して、そこから歩兵で攻撃を加えて、鉄砲隊は更に後方から来る部隊を攻撃する。
まあ、ドラマなので・・・
韓流ドラマを見ると、なんとなく現代での行動もわかるような気もするけど、理解できることは少ない。国も文化も歴史も違うから仕方ない。
ただ、違う文化の国であるという認識は本当に必要だと思う。