退職経験談が全く違った方向に進んでしまいましたが、もう少し続きを書きます。
ホストコンピュータの開発部署の請負をしている部署にいましたが、ダウンサイジングによって他部署に移動することになります。それは、ソフトウェア関係の工場です。
Windows3.1の時代でしたが、PC/AT互換機の登場から少しずつ日本でもPC/AT互換機が普及してきたころで、EメールやMicrosoftOfficeも一般的なツールとして使われてきた時でしたので、これから忙しくなる工場だったのです。
ここでは、Windows95も国内販売よりも先に使うことができました。国内メーカーには、先行的に正規版を配布していたのです。
この工場で、パソコンやWindowsについて詳しくなったのです。当時は、HTMLの情報もほとんどありませんでしたが、HTMLで簡単なホームページなんかも作成していました。
サーバで公開すると言っても、個人で契約するようなサーバやサービスはありませんでしたから。企業がHPを作る程度でした。
この頃に、「空手」を習いはじめ2年も経たずに黒帯を取得し、他の流派の道場とかにも通っていたりしました。
知り合いも少なく、住んでいても特に楽しいと感じなかった関東での生活。それに、仕事についても楽しいという感情とかはありませんでした。「仕事だからやっている」という感覚です。
あの頃は、何を目標にしていたのでしょうね・・・
そして思ったのが、九州に帰って「空手道場を開こう!」・・・(バカですね)
いや、若さというのはいつでも凶器的で革新的です。(言い訳・・・)
当時の仕事も毎日同じような事の繰り返しでしたので、嫌気がさしていたのでしょうね・・・
会社に辞めることを伝えて、辞めるような形で話が進んでいくのですが、その前にその場所での責任者の部長と面談することになるのです。
当然、辞める意志は固いので、辞めることだけに集中していたのですが、変わった展開になるのです。
部長から提案されたのは、「九州の案件を担当してみないか?」と。
何を言っているのか?わからない・・・そんな風になりましたが、会社は親会社からの仕事だけでなく、全く関係ないところからの仕事を増やそうとしている時で、九州での大きな案件が取れそうだという状況だったらしいのです。
しかし、お客さんからの要望として「人を常駐してくれ」ということでした。そこで、常駐する人を探していたらしいのです。これは、他の部署の仕事なのですが、幹部の間ではそういう情報共有があったのでしょう。
九州に帰りたいというのも実現できるし、仕事もある状態で帰れる。しかも、仕事で帰るので引越し費用も会社持ち。
なんかいいことずくめじゃないですかー!・・・(アホです)
ところで仕事って???と思って、何をするのか聞いてみると、部長はこう言いました。
「カタログとかマニュアルで製品知識を覚えばできるよ」と・・・
まあ、そんなもんなのか・・・程度でしか考えていませんでした。そんな仕事だけで、人を常駐させることなんかあるわけがないのですが。
あまりにも、社会に対して無知でしたね。その部長というのも、親会社から天下りで来た人です。そんなの知るわけないのです!!!今までやってないことをやっているわけですから。
つまり、知らない人間同士で会話しているわけですから、わかるわけがない・・・
甘い言葉に釣られて最初の退職活動(?)は、無くなってしまいました。
最初の教訓として、退職の理由もしっかりしてないと簡単に破られてしまう・・・会社からの引きとめ工作についても事前にシュミレーションしておくとか、情報収集が必要だ。