とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

関が原の合戦について考えてみる

先日の大河ドラマでは、歴史的な戦い「関が原の合戦」が50秒で終わったと話題になっていた。

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今回の主人公の「真田家」のとっては、合戦の状況など知ることもできないわけで、主人公目線では報告が来て終わり・・・ということなんでしょうね。

あれだけの軍勢が集まっていたのですから、普通に考えれば長い戦になると思うのは当然です。まだまだ、戦はこれから・・・と思っていたら、某番組の名言「鹿でした・・・」ばりに「おわりました・・・」なんて予想外の事を言われたら・・・

それと・・・番組の予算的にも関が原の合戦を再現するのにも昨今のドラマの予算を考えても厳しい・・・じゃー、いつの間にか終わった体で・・・という考えもあったような。

さて、ここで改めて関が原の合戦を考えてみると、結構おもしろいことが見えてきます。

まずは、石高。比較してみましょう。

東軍石高(主なところだけ)

家康 256万石

前田 84万石

伊達 58万石(関が原には参戦せず、上杉の抑え)

加藤 20万石

福島 24万石

細川 18万石

浅野 16万石

池田 15万石

黒田 18万石

藤堂 11万石

本多忠勝 10万石

井伊 12万石

松平忠吉 10万石

家康の256万石が突出して、あとは前田、伊達は直接参戦はしていないので、加藤、福島などの10万石前後の大名が主戦力となっていることがわかります。

 

西軍石高(これも主なところ)

毛利(西軍総大将) 120万石
上杉 120万石(参戦せず)
佐竹 54万石(参戦せず)
島津 73万石
宇喜多 57万石
石田 19万石
小西 20万石
増田 20万石(参戦せず)
大谷 5万石
小早川 37万石
長宗我部 22万石
吉川 14万石

総大将の毛利が120万石なのですが、毛利はご存知の通り担がれただけ。上杉、佐竹も動けない状態。そうなると、実質的に島津、宇喜多、石田、小西、小早川、長宗我部が主戦力と考えられます。

 

戦は、経済的な力が大きく関係するので、石高というのも重要なところです。ここで、現代に無理やり当てはめて自分の立場として見てみたいと思います。

豊臣グループホールディングス

大きくは、「豊臣グループ」という会社として見てみると「家康」は関連会社「徳川グループ」の創業者で会長というところでしょうか。加藤、福島、黒田は、豊臣グループの営業、SEかな?三成は、豊臣グループ本社総務というところでしょうか。

そういう観点で見てみると、東軍は関連会社でも最大の売り上げを誇る徳川グループの会長がリーダー。そこに、豊臣グループのバリバリの営業、SEが揃ってる。

西軍は、リーダーこそ関連グループでも大きな「毛利グループ」の3代目社長の「毛利輝元」。しかし、悲しいかな3代目・・・担がれただけで動いていない。実質的には、本社総務の三成が計画している。「毛利グループ」は、あてにできない。

本社総務の三成に、最前線部隊の営業、SEとも言える加藤、福島、黒田が従うはずがない。これは、現代の感覚でも理解できるなあ・・・

実質的には、宇喜多、島津、石田、大谷というところ・・・島津に関しては、成り行きでそうなっただけ。しかも、色々と提言していたけど、聞いてもらえなかったらしい。なんかわかるなあ・・・

九州の「島津グループ」の社長が言っても、本社の人間は聞かない・・・これは、今でもよくある話。関連グループの人間より、親会社の本社の人間が強いという・・・

しかし、「島津」なのだ・・・「島津」なんだ。九州の歴史を知っていれば、島津を疎かにはできない。秀吉が九州に来るまでに、ほぼ九州を手中にしていた。九州の名だたる「大友宗麟」「龍造寺」などを大名を撃破している。とにかく、強いのだ。

戦国時代で名を残した大名からすれば「石田三成」なんて、忍城も攻略できなかった小僧でしかないのだ。そんな小僧に無視されればね・・・上手いこと、やればいいのに三成もその辺が下手そう。

 

戦後の論功行賞を考えてみる

更に視点を変えて、「論功行賞」を考えてみる。なんと言っても、戦国時代。戦いの後に、どれだけの領地をもらえるか?!これしかない。戦っても、ただ働きなんてない。そう考えてみると、また違う見方ができる。

東軍リーダーの関連会社「徳川グループ」会長の家康から加勢して欲しいと頼まれるのと、豊臣グループ本社だけど、総務部長の石田三成から加勢して欲しいと頼まれた場合には、どちらに加勢するだろう・・・

自分なら、家康しかない。敵から奪い取った土地が少ない場合でも、家康には256万石がある。そこから、分けてもらえる可能性もある。

三成の場合はどうだろうか?性格からして「豊臣の社員だから、働いて当然」という発想になりそうな気もする。まだ、「毛利」から依頼されればわかるけど、19万石くらいの三成には戦後の褒章も期待できない。

真田が西軍に味方したのは昌幸が言っていたように「信玄公の治めていた甲斐、信濃を手に入れる」ためだと。つまり、戦後の所領を得る。しかも、甲斐、信濃を手にするには東軍に属すると、東軍同士だから攻めれないから、あえて西軍に属して東軍の甲斐、信濃を攻め取る・・・という風にも見えてしまう。

九州では、「黒田如水」が九州統一に向けて動いていた。息子の「長政」は関が原の戦いで東軍の武将として活躍するのだけど、後で適当にやればいいのに・・・と愚痴られたとか。確実に如水も、領土拡大を狙っていた。如水と言えば、秀吉の軍師だった黒田官兵衛。西軍に味方して、関が原の合戦に参戦してもいいように思うのだけど、やはり戦国時代を生き抜いた人間。領土拡大を考えていたのは、老獪な真田昌幸と同じという点でも共通の感覚があったのかも知れない。

みなさんも、自分が戦国時代の大名だったと想像して、東軍につくのか?西軍につくのか?もしくは、この機会に領土拡大をしてみるのか?考えてみてはどうだろうか?

歴史に「if」はないというけども、「if」を考えるのが歴史の楽しさでもあると思う。