とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

今週のお題に乗ってみる

今週のお題「私のタラレバ」ということで、なかなかおもしろそう。
「タラレバ」なんて、禁句みたいなもので言い始めたらキリがなさそう。
誰でも、あの時こうしていれば・・・とかは腐るほどあるだろう。生きている時間が長ければ長いほど多いだろうし。

では、実際に自分が思う「タラレバ」ってなんだろうな?

子供の頃から何か習うべきだった

会社に入ってから自分のお金で「空手」を習い始めた。かなり遅いスタートだった。
でも、一生懸命練習して1年ちょっとで黒帯までなれた。これは、かなり異例な事で全て飛び級で黒帯まで行き着いた。
その後も、色々な武道や格闘技を経験したのだけど、やっぱり思うのはスタートした年が遅かった。

もっと早くからなんでもいいので「格闘技」を習いたかった。

ただ・・・実際には中学生の頃から近視が酷くて格闘技は出来ていなかったかも。使い捨てコンタクトが出来てからは練習でも使っていたけど、やっぱり打撃系の競技では致命的。
昔は、レーシックなんてないし、打撃系にはレーシックはダメだし。

中学から近視になったのは、目が成長期で長く伸びてしまったためで、遠くを見ても目の体操をしても治るものではないというのは後から知ったこと。
トータルで考えても、早く格闘技を始めてもダメだったかも・・・

人との接し方

今でも思いだしてしまうのは、人に対してもっといい接し方があったのでは?と考えてしまう。
若い頃は、自分の事で精一杯だし仕事をしながら格闘技をして体を鍛え、休日は専門誌などを読んで勉強していた。
とにかく時間がなかった。自分のプラスになるような事だけを意識していたので、人間関係も利害だけで接していたように思う。
その場だけの雰囲気で、盛り上げるために批判したり、陰口を言ってみたり・・・

人との接し方を変えるだけで、随分違っていたかも知れない。

ただ、環境的にはいつも反主流派であったから無理だったかも・・・

運とか才能を信じていなかった

運とか信じていなかった。才能についても「単なる言い訳」だと信じていた。
しかし、格闘技をやっていると「努力」だけではどうにもならない部分を思い知ってしまう。
テニスの「錦織圭」選手なんて見ていると、才能以上の物を感じる。どう考えても同じ世代で同じような身体能力を持っていたとして同じ時間練習しても、同じ活躍できると思えない。
小学生で、高校生に勝っているわけだから、経験も体格も勝っている相手に勝てるというのは「才能」という言葉しかない。
同じように努力だけでは説明できないような人が沢山いる。

同じように「運」も確実に存在する。「運なんて・・・」って思っていたけど、実際には同じことをやっても違うような結果になることは沢山ある。努力をすることが嫌いな人でも、特に苦労せずに楽しく生きている人も沢山いる。
毎日朝早くから起きて走って、会社帰りにジムに行って辛い練習をして、晩飯も牛丼・・・みたいな生活をしていても特に人生が好転するような事はなかった。
努力しても、苦労しても、運がなければどうにもならないこともある。

「タラレバ」の話になっていないような気がする。
脱線しすぎて修正もできそうにないので、このまま投稿しよう。まあ、こういう日もあるさ。