とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

対馬の仏像はどうなるのだろう?

韓国での判決内容

関連記事
nandarou.hateblo.jp
ニュースで韓国の司法での内容が報道されていた。
・仏像は、1330年ごろに浮石寺のために製作された
・1352年から1381年に倭寇が5回ほど来た
・仏像に焼けた跡がある
・寺に放火した後に、持ち出したから焼け跡がある

以上のような内容で、浮石寺から持ち出された可能性が高いとして、浮石寺の所有権を認めたらしい。

倭寇の出現時期

倭寇朝鮮半島に出現していた時期は、1350年から1409年くらいが多く、特に1375年から1384年が多く200回ほどあったようだ。
韓国側の倭寇が来た時期というのも同じくらいの時期になっている。
海岸からも近い場所なので、倭寇が来てもおかしくない。

仏教弾圧の時期

対馬の観音寺は、李氏朝鮮時代の仏教弾圧のために持ち出されたと言っている。仏教弾圧が激しかったのが1407年と1424年と言われている。
李氏朝鮮時代になってから仏教は基本的に弾圧されていた。持ち出された時期と倭寇が出現していた時代が同時期なので、どちらもありえる。

焼け跡は、倭寇が持ち出した証拠?

仏像の焼け跡は、寺に倭寇が放火した後に持ち出したからという結論になっているけど、違和感を感じる。
倭寇=海賊という事で考えると寺に進入してやることはなんだろう?当然、海賊なので食料や金目の物をもっていく。
仏像は、金目の物だろうか?確かに、骨董品としての価値は当然あるだろうけど、大きさとか考えるとどうだろう?
それに、換金目的で考えるならば放火する前に持ち出すのではないだろうか?
焼け跡があれば価値も下がってしまうだろうし。換金目的であるならば、お金を沢山出してくれそうな大きな都市に持っていくのでは?

ここも、推測でしかないけども、焼け跡=倭寇が持ち出したというのは無理があるように思うのだけど。
倭寇が進入して放火したけども、仏像は焼けずに残った。でも、仏教弾圧で手放すしかなかった・・・という風に考えてしまうのだが。

李氏朝鮮対馬侵攻

李氏朝鮮の世宗王時代に、対馬に侵攻している。倭寇対策のために倭寇の拠点の1つであった対馬に攻め込んでいる。
1419年のことだ。世宗王は、ハングルを作った王としても有名。
朝鮮側は、大勝利として報告されている。日本側は、日本の勝ちとして記録されている。
現代の戦争でも、お互いに勝ちという事は多いので、比較しても仕方ない。
しかし、戦後に対馬は朝鮮の支配下になっていない。
朝鮮からは対馬に対して、米などが送られている。朝鮮側が勝利したのであれば不思議だ。

1419年の時点で対馬に侵攻し勝利していたのであれば、対馬の寺にあった仏像も持っていくのではないだろうか?

韓国ドラマの「大王世宗」でも、対馬侵攻の場面は登場し、一方的な勝利とされていた。勝ったのに食料を送る決定をした世宗王に違和感を覚えたのを記憶している。
その場面でのセリフは忘れてしまった。

軍事的な侵攻をした場合に、勝利したのであれば一時的にでも島を制圧下に置いて、倭寇の取り締まりを行ったり、拠点の捜索、破壊などを行わないと目的が達成したことにならない
同時に、対馬に対して損害の賠償などしなければ侵攻の意味がない。

600年前の事となるとお互いの記録なども一方的には信じることは出来ない。記録したとしても、誰が記録したのか?で内容は変わってくる。今回の件でも、それぞれが所有権を証明するのは難しいだろう。

法律の意味から考える

懲罰があるのは、懲らしめる意味があったり反省を促すためであったり犯罪抑制の意味がある。
今回の件で考えると、盗んだ物を自国に持って返り、自国の物だと主張して、そのとおりに判決が通れば、盗んだ人は自国で英雄となってしまう。自国の貴重な文化財を持ち帰ったとして・・・

懲らしめるという意味で考えても、盗んできたものは返さなければ同じような事が起きてしまう。犯罪抑制という意味でも危険だ。

今回の件が司法で認められるならば、日本に来て日本にある朝鮮由来の品物は盗んで持ち帰ってもOKになる。
一旦、仏像は返してから議論するのがいいのだろうけど、韓国側としても返してしまうと戻ってくることはないと思っているのだろう。
そこは、仏教を信じている人同士であるならば平和的に解決する方法を探すというのもあると思う。

例えば、数年ごとに持ち回りにするとか。仏教なりの解決方法があると信じたい。