法事でのお布施
法事などを行うとお坊さんに「お布施」という形でお金を渡す。お布施であって、報酬ではないということらしい。
報酬となると「サービス」などに対する対価になる。法事は「サービス」などではないからだと。
ここで問題となるのが「金額」について。
「お布施」なので金額などを明示できないので、どのくらいがいいのか?わからない・・・
という事をよく聞く。
同じように、「戒名」
噂では、金額が高いほど文字が多いとか、位の高い名前がもらえるとか・・・
金額で戒名が変わるというのは、感覚的には商業的な感覚だな~と思ってしまう。
現実との違和感
お寺で祈祷をしたり、お守りなども明確に金額が決まっている。お願いごと1つに対していくら。1万円以上のお札の場合は、2つまでお願いができるとか明確に書かれているところもある。
そうなると、法事との違いはなんなんだろう・・・と思ってしまう。
同じように、法事も明確な金額を提示してもいいのではないだろうかと。
お布施とは行
現役のお坊さんのブログでは、Amazonのお坊さん便について書かれている。
www.zen-essay.com
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本当にその通り。いい事を書いています。
お布施って行であって、自分のために行う行為なんだそうです。
お布施をすることで、お坊さんに対して行うのではなく、仏に対して自分が行う行為だから、報酬ではないと。
そう言われれば、なんとなく理解できるような気がします。
自分の行という話であれば「いくらでもいいのではないのか?」と思ってしまう。
法事の際のお布施として「数千円」渡したら、どうなるのだろう?
戒名の際には、「数千円」渡したら、どうなるのだろう?
あくまでも、お布施で自分の行だったら、お坊さんに何か言われる筋合いはないと思ってしまう。
まあ・・・そういうわけにはいかないだろうけど・・・
仏教って知らないことが多い
お布施という言葉の意味についても知らないかったし、お経の意味も知らない。
それはどちらがいけないのだろうか?
どちらか一方的にいけないという事はないのだと思うけども、仏教というのが比較的身近にあっても知らない。
法事の後も、お坊さんはすぐにいなくなってしまう。
最近読んだ本では、お経を広める役目があるとも書かれていた。法事のように沢山の人が集まるような所で少しでもお経について話をしてもらえれば、意識も変わってくるのではないだろうか?
法事に参加する側も、お経を読むだけではなく「意味」についても考える必要があると思う。
「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」と唱えながら阿弥陀仏を知らないというのはいかんと思う。
自分の親が亡くなった時は、どうするのだろうか?段々と無関係では無くなっているので、勉強しないといけません。
そういう時期が来たということでしょうね。