とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

閏月もあった

歴史物のTVやドラマを見ていると、旧暦なんて言葉が出てくる。昔は、「太陰暦」で現在は太陽暦で・・・というくらいの認識だった。
これがまた、ややこしい。

太陰暦は厳密には、太陰太陽暦だということだった。
もう、意味不明なのだけど、自分なりに解説してみる。

太陰暦というのは、月の満ち欠けの周期で月を決める。その周期は、29.5日なので29日と30日の月があった。
しかし、29.5日×12を計算すると、354日。

これでは、1年で地球が太陽を回る周期の365.25日とは11日程度の差がでてしまう。
そこで、24節気というものを利用して季節を定めていた。「夏至」とか「春分」とかのやつ。
これは、1年を24等分していたの、季節感が変わることはない。

月は、月の満ち欠けの太陰暦だけど、季節は、太陽を回る周期の太陽暦を使ったので、「太陰太陽暦」ということ。

さらに・・・1年で11日も違うと2、3年に一度「閏月」というのも設けないと、どんどん違う月になってしまう。
旧暦では、閏月というのが存在して、1年に13ヶ月あったのが普通だった。

昔昔の話と思うのだけど、これは明治になってから改暦があった時に変わったので、実際には閏月があった時間のほうが圧倒的に長い。

この明治時代の改暦・・・一説では、明治政府が給与を払う時に13回も払わないといけない月があるため、閏月のない太陽暦に急遽変更したという話がある。

明治5年の11月9日に発布し、同年12月3日をもって明治6年1月1日とするという強引な手法。
単純に計算しても、明治の改暦以前と以後では計算が違うことになる。

赤穂浪士の討ち入りも、12月の風物詩的な形になっているけど、旧暦では1月の出来事。雪が降っていても不自然ではない・・・という結末。