とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

日本の技術がないと、立ち行かないという

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 色々と事例があって、結局日本からの技術や製品がないと韓国風の家さえできないとか。

2010年、百済遺跡の世界文化遺産登録を目指していた忠清南道の公州市と扶余郡は、世界大百済展を開催し、その目玉のひとつとして伝統住居の宿泊体験ができる公州韓屋村を造成した。
 当初、韓国産マツを使用して韓国の技術で建設を進めたが、予定に間に合わないことが判明すると、宮崎県からスギ集成材とプレカット材を導入した。
韓屋完成から3年経った時点で、韓国製韓屋にはかなりのひび割れが発生していたが、宮崎産の木材を使った日本製韓屋には割れがほとんど見られなかった。

 不思議は話だ。普通に考えれば、その国で育った木の方が風土にあっているはずなのだが。何が違うのだろう?

2017年にロッテ建設が施工した地上123階、高さ555メートルのロッテワールドタワーは、基礎設計は英アルップ社、基礎の上にコンクリートと鉄骨を組み上げる建物設計は米KPFとレラ社が担った。
 
 風速80メートルの強風に耐えるための風洞設計はカナダのRWDI社、そして合計2万個のガラス壁を取り付ける外壁を日本のリクシルと米CDCが担当している。
 日英米加の4か国による合作で、韓国の建設会社はコンクリートと鉄筋を組み上げただけだが、韓国建設業関係者によると、韓国の建設会社が国外で建築する高層ビルも実情は同じという。

 これって、どうなんだろう?基礎設計がイギリスの会社だから、もう韓国の建設会社は下請けって事だよね?

韓国国宝第一号の南大門こと崇礼門は2008年、放火により石造の城門を除く大部分が焼け落ちた。復元に際しては、1950年に放火で焼失し、復元された金閣寺を参照した。
 韓国文化財庁は、1950年に李朝時代に建てられた原型の再現に重点を置いた。
作業員は民族衣装を着用して、電動工具は使用せず伝統的な技術で行うと発表したが、韓国には伝統的な彩色の丹青と膠(にかわ)や漆などの接着剤を作る技術がなく、日本製を使用した。
 修復完成から半年後に、丹青の剥がれや瓦のひび、木材の亀裂などが多数確認された。
徐々に木に染み込む伝統顔料は、塗った直後の発色はおとなしい。
価格が天然原料の10分の1ほどの化学顔料を上から塗ったため、天然の膠や顔料は重さに耐えきれなかった。日本から買ったは良いが、その使用法を知らなかったのだ。
 
また、本来予定されていた韓国産の金剛松ではなく価格が100分の1程度の安価なロシア産木材を使っていたことも判明した。

 これは、有名な話で、国宝第一号ですら、まともに修復、復元ができなかったとして有名。天然の成分は、扱いが難しくて価格も高い。だから、どんどん新しい物に変わって行ってる。日本でも、神社、仏閣が無くなっていれば、そういう技術も無くなっていただろう。かろうじて残っていた技術は、やはり長年のノウハウが蓄積されている。民族衣装を着て、原料だけ用意すればなんとかなる話ではない。

 でも、日本でも危ない状況になっている国産の漆が少なくなっていて、中国産の漆を使って修復するところが増えている。そうすると、やはり発色が悪かったり、長い時間もたない。でも、国産は高いし数もない。観光地として収入がある寺社はいいが、それ以外のところは元に戻せない可能性が高い。

ロッテが忠清南道扶余郡に17年の歳月をかけて造成した歴史テーマパークの「百済文化団地」は、百済の建築技法が反映されていると言われる日本の寺などを回って可能な限り忠実に再現した。韓国には史料も技術もなく、日本だけが頼りだった。

 日本には、百済から仏教が伝来し、百済の王子も亡命していた。同じように建築技術も伝わっている。百済だけでなく、当然中国からも伝わっているので、そのまま持っていくのはどうかと思うのだけど。相変わらず、資料も技術も残ってない。理由は、わからないけど昔からの物が残らない国だ。百済も、新羅に滅ぼされ、再興して、高句麗に滅ぼされたから、その際に全て消却されたのかもしれない。

 李氏朝鮮時代に、儒教を国の基本として、仏教を捨てたのも影響しているのかも知れない。その時代の資料も怪しい。だから、突然のように、韓国ドラマの歴史物などで詳しく出てくるのは、疑ったほうがいい。ほぼ、創作だ。

 自国で何も残ってない。それは、仕方ない。そこで、他国の資料を参考にした。それで、いいはずなのだが。それを言わないから、あとで辻褄が合わなくなる。

 浮世絵は海外で人気だが、日本国内ではそれほど人気がなくなり、陶器の梱包材として使われていて、陶器と一緒に輸出され、それを見つけた海外の人の間で話題になって、多くの芸術家に手本とされた。その他の多くの美術品が国外に持ち出され、海外の美術館で展示されているのも多い。

 それも歴史であり、事実。国内で評価されなかった理由もある。何でも国内にあるわけではない。事実は、事実。