とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

年の積み重ね方って本当に重要だと思った話

事の発端は、九州にいる両親が親戚のお祝いごとで東京に来るという話から始まった。

神田明神に行くということなのだが、ここは唯一東京で行ったことがある場所。
全く知らないというわけではないのだが・・・

基本情報
・母親は、飛行機NG(高いところはダメということらしい)
・母親は、電車も乗れない・・・(なんでやねん)
・父親は、40年前に東京に少しだけいた(その話ばかりする・・・その頃とは別物なのだが)
・両方とも地図が読めない???(今までどうしてた???)
・通常の移動は、車
・母親は、歩かないし足が少し悪い(と言っても都内で見る人より全然ましで杖なしでも歩けるのだが)
・家にネット環境がない(スマホも使えないしメールも危うい)

既にポンコツ具合が酷いのだけど、前回は実家にいる兄が同行したので、問題はなかった。
今回は、兄は呼ばれていないので2人での移動になる。

まずは、東京のホテルがわからないので、神田明神に近いホテルを調べて教えて欲しいという依頼だった。
ネットで調べて即回答した。新幹線のチケットは、別に予約するという話だったので、調べてみることにした。
色々なサイトで宿泊とセットになって販売されているので、色々なサイトで検索してみた。

ただ・・・こちらで予約するにしても座席指定とか色々と大変な部分が多かった。
ホテルも高い階はダメとか注文が多いのだ。そんな状態でありながら連絡手段が乏しい。
なにせ、メールもあやういしFAXもあやしい・・・最近は調べた内容を印刷して郵送していた。
どの時代に住んでいるのか・・・困ったもんだ。

電話はできるのだが、全ての情報を口頭で伝えるのは無理がある。それに、地名だとか一般的な知識が危ういので、そこからの説明になる場合が多々あるのだ。

そこで「近くのJTBとかで予約できるはずだから聞いてみて」と言った。
予想金額と、候補になるホテル名をいくつか伝えた。

ここでも、自分で動かず結局兄がJTBの窓口に行ったらしい。なぜ、自分で行かないのか・・・

JTBで新幹線のチケット予約と宿泊先は、確保できたので後は当日に移動するだけ。
難しいところは、東京駅で乗り換えて中央本線お茶の水駅で降りて、神田明神まで歩く部分。
当然、母親は自信がない。父は、いつもの調子で「東京に住んでいたから・・・」という感じだ。

乗り換えする駅の構内図(特に東京駅)と、御茶ノ水周辺の地図と翌日の移動ルートなど印刷して郵送した。
翌日は、観光したいということで、浅草まで一緒に行くことになった。
浅草までは、神田駅で集合することにしたので、待ち合わせの場所と駅構内図も追加した。

そうして、東京まで移動する当日・・・

特に連絡もなく夕方になったが、連絡もないので無事終わっているのだろうと思っていた。
19時過ぎに連絡があった・・・正直驚いた。

東京駅からの移動で間違ったらしい。なにを間違ったのか?よくわからない。詳しくは、明日合流した際に聞くしかない。
中央本線で2駅なのだが、何を間違ったのか・・・中央本線の場合は、東京駅からだと下りしかないので、他の路線のように上り、下りを間違う心配のないのだが。

明日の集合の話をしたのだけど、九州まで帰る切符で神田駅まで行こうとしていたので、「使ってはダメ」と何度も言った。

この段階で、こちらもかなり疲れてしまった。

浅草に行く日になった。

電話で確認して行けるようだったので、神田駅にて集合することにした。神田駅から銀座線に乗り換えるので北口のある改札を出てから集合するように話した。
ここで、確認のため切符は神田までの切符を買うことと、御茶ノ水駅はJRと地下鉄(メトロ)があるので間違えないように伝えた。

そんな事をしていると、こちらの準備が遅れたので電話したのだが、なんと・・・駅を間違えたと言っている。
案の定、地下鉄の駅に乗ろうとして引き返していた。

どうしたものか・・・

朝からそんな状態ながら、駅に着いてみると改札を通過せずに駅の中で待っていた・・・
喫茶店とかで待っていてと伝えた時に、「喫茶店とかもない」と言っていたのは、こういう事か・・・

合流できたので、あとは銀座線に乗るだけ。ただ・・・足が悪いというか普段歩いていないので、足腰が弱いので移動はエレベーターを選択することになるのだが、1人ならいいのだが、4人で乗るにはどうも・・・
両親は、高齢者だとわかるが自分達はそうはいかない。他の人も乗るので、エレベーターまで案内して自分は階段での移動という選択をした。

電車に乗るだけでも大変だ。

浅草に着いてからも色々と大変だった。歩くのが遅いし道の真ん中を歩く。遅いなら端を歩くのが当然なのだが、真ん中を歩きたがる。というか、知らないのか?

浅草では、仲見世通りを通り、浅草寺に行き戻ってくるだけだった。
それだけで、時間は過ぎてしまった。全く、寄り道をしていない。

帰りは、品川から乗車するので浅草から都営浅草線で品川まで行ける。
ここで問題だったのが都営地下鉄浅草駅だ。

浅草寺から近い入口にはエレベーターがない。改札までは、そこそこ歩くことになるし階段も多い。
そこを凄く遅いスピードで歩くのだが、その横を親よりももっと高齢であろう人がすいすい抜いていく。
東京の高齢者は、1人でも電車を駆使して出かけているのがよくわかる。

羽田空港行きだったので、泉岳寺で乗り換えることもなく品川に到着した。
そんな状況なので、新幹線に乗るのも怪しいので入場券を使って新幹線のホームまで行くことにした。

入場券の面倒な所は、品川まで他の路線なりを使ってきた場合は一旦清算しなければいけない。
帰りも、一旦新幹線の改札外に出てから、再度入り直さないといけない。

入場券だから、そんなものだろう。

品川駅の場合は、少々面倒。品川までは、泉岳寺から京急線に乗っている。京急とJR在来線は、乗り換え用の改札があるので、JR在来線を使う場合は、単純に乗り換えればいい。
しかし、新幹線の場合はJR在来線に入ってから、新幹線乗り換え口に行って、乗り換えることになる。
京急→JR在来線→新幹線という感じだ。

昼ごはんの時間でもあり、一旦京急の改札から外に出てからランチして、新幹線の改札から入場した。
ホームまで連れていってホームで見送りしたので、とりあえず九州まで行けることを確認してから家路についた。

約半日しかいなかったけど、実家にいたときを思い出した。この感じが嫌だったのだ。
高校を卒業してから、とにかく家を出たかったので就職した。家を出てから25年以上が経過している。
その間に、色々なところに行った。色々な経験もした。辛い経験ばかりだった。

それでも、勉強したり経験することで学ぶことも多かった。でも、まだまだ勉強が足りないと思うし、修練が足りないと思うところが多々ある。
どうするのがいいのか?もっと出来たのではないか?
日々、考えてしまう。

今回、久々に両親に会った時に、ここまで違うのかと痛感した。法事などで帰ったときにも色々とあるのだけど、指摘しても聞かないし直そうとしない。
帰っている身だし、ほんのちょっとしかいないので何回も言わないのだけど、酷すぎることが多い。

18歳まで躾とか教養で教えてもらったことは、正直記憶にない。

細かなことかも知れないけど、今後の記録のためにも書いておこう。
ランチの際に、パンかご飯が付けれるということで、両親は2人ともパンを希望した。
そこは、別に問題はない。

この注文したパンを2人で2切れほどしか食べなかった。合計で6~7切れあったので、ほとんど余る感じだ。
残りのパンは、全て自分が食べた。2人で1つ注文すればいい話なのだ。
これで終わらない。母親は、デザートを注文した。アイスかなにかだったのだが、それは全て食べたのだ。
その後に言った父親のせりふに愕然とした。
「いつもは、食べれないから半分くらい残しているから」
「残せばいい・・・」

という事を言っていた。

普段からそんなに食べれないことを認識しながら、注文した食べ物を残せばいいと思っている感覚にびっくりした。
戦中生まれで食べ物に苦労した世代のはずなのだが、食べ物を粗末にする感覚が信じられなかった。

早い時に実家を出て、本当に良かった。

親の影響というのは、大きいというのは理解している。しかし、今回の事から親は25年以上も何も変わっていないし、むしろ以前より悪くなっていると感じたし、自分とは大きく異なると実感した。

親との違和感を感じたら、家を出ることを本当に薦めたい。

まだまだ、書き足りないくらいなのだが、一般的教養レベルが出来ていないことが多く、そこまでにも行かないレベルなので書かない。

東京駅から神田明神までのルートで迷った話を電車の中で聞いていたのを忘れていた。
両親の会話では・・・
母「黄色の線の電車に乗った。内回り、外回りって書いてた」
 「ホームにいる人に聞いたら、御茶ノ水に行くっていうから乗った」
 「行き先にお茶の水がなかったから、降りた」
父「快速に乗ったから・・・(ゴニョゴニョ)」語尾不明

結局、何線に乗ったかわからなかった・・・黄色なら中央本線なのだが、内回り、外回りは山手線だし、快速があるのは、京浜東北線
話がばらばら。見たことをそのまま言うので、いつもこんな感じだ。頭で整理されていない。御茶ノ水駅にいくには・・・という思考ではないらしい。電車が来たら乗る。そんな感じだ。

京浜東北線の快速に乗り、秋葉原に行ったのではないか?と想像するけども、あとのルートを聞いても振り出しに戻るという感じで
母「黄色の線の電車に乗った。内回り、外回りって書いてた」
 「ホームにいる人に聞いたら、御茶ノ水に行くっていうから乗った」
 「行き先にお茶の水がなかったから、降りた」
父「快速に乗ったから・・・(ゴニョゴニョ)」語尾不明

しまいには
「嘘を教えた、あの人が悪い」

ということになっていた。秋葉原経由でも、総武線に乗れば御茶ノ水に着く。間違っていないのだが・・・
そもそも、何も確認しない自分達は悪くないという毎度の理論。
なんとか御茶ノ水駅に降りてからも、神田明神に行けなくて迷ったらしい。

東京駅の乗り換えとか、構内図、神田周辺の地図も送ったのだが、迷っても見ないらしい。
知らないのに確認をしようとしない。これは、何故かわからない。

地図が読めないのか?今でも不明。

都内に住んでいると高齢の方でも、元気に電車で移動している。杖をついても、自分だけで買い物にいったりしている。
スマホを使いこないしている人も多い。

一方、田舎に住んで、何も変化しない生き方をするとこんなにも差が出てしまうのか・・・愕然とした。
田舎暮らしがダメという事でもない。今は、情報を入手する方法としてテレビでも雑誌でもいいし、インターネットの普及でどこにいても沢山の情報を入手できる。

地図ですら、現地でコンビニで買っていた時代からネットでどこからでも確認できるし、ストリートビューを使えば行くルートまで確認できてしまう。

情報の格差というよりは、入手できる環境の構築であったり情報の使い方や理解の仕方のほうが大きく違うのかも知れない。

どう生きるかは自由。最近の研究では、脳は死ぬまで進化できることがわかってきている。使わずに退化していくか?どんどん使って進化させるか?それも、個人の自由だ。