とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

大昔は、暦はどう認識していたのだろう???

古文書に書かれた内容がテレビで放送されていて、暦の部分が気になって見ていると「建保二年 甲戌 正月小 3日」と書かれていた。
建保二年は、元号だから「平成」と同じように変化する。
次に「甲戌」も、「甲乙丙丁・・・という十干」と「子丑寅・・・・という十二支」の組み合わせ。
今年は、丁酉の年。来年は、戊戌の年。

次の正月小は、正月は1月で太陰暦では29.5日で一ヶ月なので「大は30日、小は29日」という事で、調整していた。
つまり、正月小は29日までということになる。

この文章を見て、暦もおもしろいと思った。

同時に、建保二年という元号は、朝廷が決めるものなので、どうやって地方まで普及させたのか???

凄い疑問だ。

そこで、甲戌と記述していたのだろうと勝手に予測。こちらの暦では十干十二支を知っていれば誰でも知ることができる。
ちなみに、年だけでなく月も日も十干十二支で表現できる。

今年の7月12日は、丁酉年 丁未月 庚子日となっている。
それぞれが60進数で進んでいくので、昔の寿命で考えると同じ年が来る可能性は低いので、丁酉年の時に・・・なんて話でもいつくらいの話なのか検討がついた。

ちなみに時間の表現も、十二支を使っていたので子の刻とか、丑の刻とかで表現していた。
24時間を12で割るので、それぞれの刻も2時間の幅があった。
それを4等分して30分単位で表現していたので、「丑三つ時」は丑の刻の1時から3時の中の3つ目なので2時から2時30分となる。

そう考えると、昔の待ち合わせの時間は30分の幅が自然とあったのだろうか???
そもそも、時計が普及していない時代だから、夜の時間はどう知ったのだろう?不思議だ。