修行の話を書いてから思い出したのは会社に入っての事だった。若いのもあって、とにかく働け働けだった。まあ、内容も含めて覚えることが沢山。社会的なことも覚える必要もあるし、なにかと大変だった。
その頃言われたのは、「若いうちは、給料も安いけど上がっていくから」と言われて、数倍働いた。働かされた?
それは、将来は給料も上がり仕事も楽になるという前提で前払いみたいなものだった。
でもね・・・バブルがはじけてね・・・というか、自分の時にはすでにはじけていた。バブルの余韻の余韻の余韻くらいで、節約ムードが漂っていた。
そうなると、事業の縮小とか残業の制限、昇給の停止などマイナスなことばかりだった。当然、給料も上がらない。
さらに、その頃になると「能力主義」と言われ、能力がなければ昇進もなかった。なんか、年金とかも同じだね。将来は、沢山もらえるなんて言われても、しばらくしたら金額は下がるはもらえる年齢は上がるはで・・・
能力主義と言っても、結局下から上がってくるのを防止しているだけで、実際に能力主義なんてことはない。
だって、英語を取り入れるなんて随分前から言っていて、TOEICの点数で課長に昇進できるできないの判断までされる会社もあるけど、今の部長、課長クラスがTOEICの点数で降格になることはない。
蹴落とす材料として使っているだけ。
ルールを作る側に有利なように作られる。
役職だって能力と関係ない。「そろそろ、A君も上げないとな」なんて事で、新しい部や課が出来たりする。役職者のために。
部長がいなければ「兼任」という荒業まで。担当まで「兼任」になったりする。部長1人、課長1人、主任1人、担当0・・・なんて所もできたり。というか、何年も新人がいない会社なんてそんな感じ。
もう、なんのための役職なのかわからない。
若い頃のハードワークは、それこそ修行というつもりでいたけど、結局、はしごを外された感じだ。その頃から、終身雇用とか年功序列の幻想なんてものは自分からは無くなった。
そういう事があったから、修行という言葉に抵抗があるのかも知れない。実際に、ダメな会社に限って最終的には根性論になる。
それは、もう理論的な思考が停止しているからに他ならない。
先の大戦でも、戦局が厳しくなればなるほど「精神論」になった。だから、理論のない精神論にも嫌気がする。もうね・・・竹槍でB-29は落とせないのはみんなわかっていただろうに・・・
精神的な部分の強さが最終的には絶対に必要なのは何回も見てきている。なので、精神的な部分も大事なのだけど、それだけに頼ってはだめだ。
精神的な強さに裏打ちされた確かな技術、論理。なんてあれば格好いいけどね・・・