とりあえず移転してみました

ニュースねたや、IT系の記事を書いていくつもり・・・ですが、どうなるかわかりません。まあ、とりあえず やってみます。

この時期になると・・・

お盆の時期になると、お墓参りだったり帰省だったりとなるのですが、もう1つ忘れていけないのは「終戦
この時期になるとテレビでも戦争についての番組が多くなります。

悲惨な映像などを見ていると心が痛くなりますが、疑問に思うことが多々あります。戦争の悲惨さを伝えるというのはいいのですが、そこばかりに焦点がいってしまい、もっと問題な部分に焦点が行っていないように思うのです。

まあ、報道というのは事実だけ伝えてどう思うのか?どう考えるのか?は見ているほうが考えるものだということなのでしょうが、作る側の意図が内容に反映するというのは誰でもわかることです。

戦争=悲惨=いけないこと というのはわかるのですが、それだけでは何故?あれだけの戦争になったのか?もっと、早く止めることは出来なかったのか?などなど・・・いまだに解決されていない問題が多いと思うのです。

特攻という作戦が実行されている時点で、人も物も無くなる一方で、挽回なんか出来ない・・・むしろ最悪な方向に向かっているというのはわかることです。でも、止めることが出来なかった・・・当時の状況では、そんな事を言えるわけがないということなのでしょうが、だからこそ戦争を継続しても損害だけが増えて大変なことになると、上層部が判断しなければいけないわけです。

今でもそうですが、重要な決断を先延ばしにして問題が大きくならないと変わらない。これも、今も変わっていない・・・

問題の責任を取るのはいつも下の人間・・・これも変わらない。

あの時代から変わることが出来たのだろうか?

 

ガラケーっていいよ!

いつも読ませてもらっているブログでガラケーの記事を書いていたので、読んでみると・・・

www.nych87.com


なるほど。コメントすればいいのですが、コメントで書くのも長くなりそうなので、こちらでブログ記事にしてみました。

そもそも、ガラケーなんて言われていますが、携帯電話は携帯電話なんですよね。言葉から連想するのが「古臭い」「時代に追いついていない」というイメージなのですが、ガラケーって単純に凄い。

ガラケーのいい点
・通信料金が安い
・電池の持ちがいい
・操作が簡単
・アプリをインストールしなくてもいい
・ウィルス感染はしない
・落としても気にしないくらいの価格
・落としても大丈夫くらい頑丈
・機種によっては、防水
ワンセグでTVも見れる
・高機能!!!

メールくらいは全然使えるわけだし、WEBアクセスも出来ている。ワンセグも見れて、カメラ機能もある。
機能的な部分では、スマホと遜色ないと思う。そういう自分も、ガラケーを使っていた・・・変えろ変えろとうるさいので、変えたのだが・・・

じゃー、スマホは使えなかったのか?と言われると「NO!」で、iPadWi-fi接続で使っていたし、自分が持っていたガラケーはデザリングも可能だったので、iPadをデザリング接続して、外出先でも使っていた。そういう使い方をしても、電池の持ちがいいのでWi-Fiルーターとして安心して使えた。

ガラケースマホなら、iPad持ち出さなくていいやん・・・となるのだけど、画面小さいからね・・・

iTunesポンコツぶりとかを感じてしまうと、ガラケーのほうが使い勝手がいいとしか思えない。数年前は、iPhoneは防水でもないし、落とすと画面バキバキ。ワンセグもないし、Felicaも使えなかった。

LINEは、使えないけど使うことはないので問題ない。LINE怖すぎる・・・(日本企業じゃないし)

スマホのいいところって、結局ゲームができるくらい?じゃないだろうか?

スマホに変わってメリットがあるのは誰だろう???って考えてみると、ガラケーへのイメージ戦略が見えてくる。

スマホに変わると、通信料が上がる。ということは、必然的に、通信料の多い契約プランになる・・・
ゲームも沢山あるので、ゲームをするようになる・・・そして、課金する・・・
どんどん新しい機種が出ているので、2年も経過すると対応していないアプリなど存在して、新しい機種に変更することになる。
iPhoneなんて新しくなって何が変わった???その金額分の変化をしているのか???)

ガラケーは国内メーカーが作っていたけど、スマホになると海外調達も可能で、しがらみがなくなる・・・

スマホになるとメリットが多いのは、誰なんだろうね・・・少なくとも、通信料金が自動的に上がる利用者とは思えない。スマホを売っておいて、通信のトラフィックが多いからって通信制限かけて、制限を解除するのにお金かかるのって何だろうね・・・

YouTubeばっかり見ている人とかは、スマホでメリットあるかも知れないけど、数少ないだろうし使う側が色々と知識を持たないといけない製品ってダメだと思うんだよね。パソコンは、必需品ではないからいいけど、携帯って必需品だから万人が使えるようでないと。

どこぞのキャリアのビルを見ても、どれだけ搾取されているか・・・新宿のビルは、なんなんだろうね・・・

 

昔から「責任者ってだれ?」って感じだったのね・・・

歴史の勉強をしていると、今更ながらに「???」と思うところが沢山ある。室町幕府って、足利尊氏日明貿易で有名な3代将軍義満。
それから、13代の将軍の義輝は、新陰(影)流の免許皆伝の腕前だったということで知っている。最後の将軍として義昭も織田信長との関係で出てくることが多い。

でも、そのほかは知らない・・・室町幕府と言えば、北朝南朝とか、今人気の「応仁の乱」というイメージしかない。
応仁の乱の前に、永享の乱というものがあり、それが応仁の乱に続くものだった・・・という話を聞いて、当時の将軍足利義教を初めて知った。
義教は、嫡流ではなかったため、お寺に僧籍として出家していたのだけど、いつものパターンの後継者がいないという理由で還俗して将軍になった人。

当時の考えでは、還俗というのは一度俗世から逃げたというイメージらしく、武家の社会では信用されないらしい。
その反動なのか、結構酷いことをやっている。比叡山も攻め込んでいる・・・僧籍だったのにね・・・

室町幕府は、京都にあって鎌倉は関東を管轄していたのだけど、鎌倉公方足利持氏と関係が悪く、最終的には戦になり足利持氏が破れ自害したのが、永享の乱

問題なさそうに思えるのだけど、鎌倉公方がいなくなってしまうわけだから、これ以降関東が騒乱の時代になった。応仁の乱の前に、関東周辺は既に責任者不在、統括勢力の不在という形で混沌としていたと。

幕府という組織も変わっていて、鎌倉幕府の時代でも幕府を興した源氏は3代で途絶えてしまい、北条氏が執権という形で政治を行っていた。
将軍がいなくて、執権になったのか・・・程度の認識だったけど、実際には征夷大将軍は京都から派遣されていたりして、存在していた。

征夷大将軍を補佐する執権が実権を握って政務を行っていた。もう、この段階で無茶苦茶。
本来は、天皇を主体とした朝廷で政務を行うのを、征夷大将軍が変わって行うというのが「幕府」のはず。その幕府の責任者が、「執権」に任せる・・・という段階で、もう誰が責任者なのか・・・

元が襲来したときも、事前に使節団が来ていたけど「この国の一番偉い人は?」と聞くと「天皇」と答えられて、天皇に会おうとすると「いや、今は鎌倉で征夷大将軍が幕府を開いて担当している」と言われるんだろうな・・・

そこで、鎌倉に行くと「いや、今は北条得宗家が執権として政務をしている」・・・って言われる。もう!なんやねん!!!

ってなことを思ったんだろうな・・・執権と話をしても、外交になると「朝廷の意見も聞かないと・・・」なんて言われたら、どう思ったんだろう。

鎌倉幕府は、終盤になると「執権」ですら力をなくして執権を補佐する「内管領」が力を持ち実権を握っていたから、もう・・・なんなんやろ。

その鎌倉幕府を倒して次に室町幕府が出来るのだけど、最初から北朝南朝という形で対立し、京都にいたもんだから朝廷勢力との関係もあり最初からごたごた。

将軍も若くして亡くなったりするので、年少の将軍ばかりで力がなく、結果部下である管領とか守護大名が力を持ち、応仁の乱から戦国時代という事になってしまう。

結局、責任者が不在になった瞬間に色々な勢力が争いを始める。責任者不在というのは、恐ろしい結果を招く。
そういう会社って多いよね・・・責任者って誰なんだろう???って感じの。

 

家康公暗殺説

家康公と言えば、徳川幕府の開祖にして東照宮にも祀られている。暗殺説とか、影武者説など色々とあるのだけど、3つも暗殺説があった。

まず、桶狭間の戦いで暗殺されたという話。
というのも、その後の行動が以前と変わったという話と、正妻と嫡男を殺したということから「影武者とばれること」を恐れて殺したという話・・・
それであれば、もっと沢山殺さないと辻褄が合わないような・・・

次に、関が原の戦いの際に暗殺されたという話。
ドラマとかでも、出陣する時に騎馬武者が家康のぶつかるシーンがあるのだけど、その際に刺されていて、その傷が原因で死亡したという話もあったりする。
この時代は、どの武将にも影武者がいるのは当然で、有名なところでは武田信玄の影武者は弟の信廉であったという話。
ただ・・・配下の武将が知らないというのもあり得ない話。

関が原から16年も生きているので、なかなか難しい。

最後の説は、大阪夏の陣真田幸村に殺されていたという話。実際に、亡くなる前年の話で、1年間は誰にも会おうとしなかった・・・という話もあるので、この話は説だとしてもあるかも知れない。

夏の陣で激戦となり、幸村隊の総攻撃を受けて、何度も自害しようとして部下に止められたという話も伝わっている。桶の中に隠れて逃げる際に、幸村の配下に桶ごと刺されて死んだという。刺されても声もあげずに、血を自ら拭って痕跡を残さないようにしたらしいのだけど、南宗寺に到着した際に絶命していたとか。

南宗寺には、家康公の墓と言われるものや秀忠、家光が訪れた記録があったりする。更に、戦前には東照宮と呼ばれる立派な建物まであったとか。

1年後に、「鯛のてんぷら」にあたって死ぬというのはどうなんだろう?健康オタクの家康がてんぷらで死ぬのか・・・不思議だ。

 

今日は、土用の丑の日だった・・・

この時期になると登場してくる「土用の丑の日

小さい頃は、「土曜」と思っていたので、「土曜じゃない・・・」と思ったものですが、土用って今でも微妙な感じです。
というのも、五行に由来していて「木、火、土、金、水」の5つが全ての根本という考えがあって、土以外は季節があてはめられていて、土だけないのです。

春は、木・・・なんとなくわかりますね。春は、新芽とか出てきます。夏は、火・・・暑いですからね・・・
秋は、金・・・う~ん、どうでしょう? 冬は、水・・・これはわかります。

それで、土ってどこにもはまらない。そこで、それぞれの季節の変わり目の立春立夏、立秋、立冬の前の18日間を土としたと・・・その期間は、土用ということらしい。
その土用の期間で「丑」の日を土用の丑の日と呼んで「う」のつく食べ物を食べましょうと。

ちなみに、今日は「癸丑」(うずのとうし)の日。九星では、「五黄土星」。ここでも、土が出てきます。
今年は、8月6日も「乙丑」(きのとうし)で、土用の丑の日。九星では「二黒土星」。

うなぎ屋さんは、今年は大忙し。

由来も結構ないい加減な感じですが、大安とかの六曜も結構酷い。元々、六曜はあるけども吉凶を占う要素に過ぎないので、単独では判断できない。それが、いつの間にか単独で吉凶を占う話になっていた・・・

「大安」だからって、みんなにとって良い日なんてあるわけない。酷い話だ・・・・・・・

 

武道とスポーツ

空手も10年近く練習し、その後はキックボクシングも10年以上練習してきましたが、先日見た番組で改めて考えてしまいました。
というのも、空手=武道という部分が強調されていました。当然、空手は武道です。スポーツとしての要素もかなり入っていますが武道です。

ここで、疑問なのが武道での「試合」というのは「仕合」とか「死合」なんて言うこともあります。
つまり、負けたほうが死んでしまうというくらいの意味なのですが、試合に対する心構え、気持ちの持ち方という意味合いも大きいと思います。

厄介なのは、空手は「一撃必殺」という考えもあるので、試合でも一撃で殺してしまう・・・ので、簡単に試合はできないという考えもあります。瓦を割れる拳を持っていても、動いている人に対して一撃で殺せるほどの打撃・・・・・・・というのは無理なのですが・・・・空手どっぷりの時期はそんな考えを持ってしまいます。

空手は、基本と型で試合のための練習というのは、スポーツ化だという考えもあります。実際には、試合のための練習をしていないと大会では勝てません。ただ、試合のための練習だけしても空手=武道という意味あいが薄くなってしまいます。

武道とは何か?というのを今更ながら考えてしまいます。

その後、キックボクシングをやることでボクシング関係の人とかも近くなるのです。ボクシングはスポーツなのですが、プロボクシングは負けた後の試合は「再起戦」と言われるように再起なんです。一回の負けでも。

世界戦なんかだと負けたら引退という言葉もよく聞きます。これって、「死合」に近い感覚です。負けたら引退なので、今までのキャリアとかを失ってしまうのです。スポーツなのに・・・

スポーツだからこそ、余計な部分の練習はしません。試合に勝つための技術を練習し、多くの対人練習を行います。結果、多くの技術と人を倒す感覚がわかります。パンチなどで倒した人ならわかるのですが、真っ直ぐ撃つより少し斜めに入れたほうが利きます。

ボディもどの部分が効くのか?どの角度がいいか。どれくらいで押し込んだほうがいいのか・・・これは実際に人を殴らないとわかりにくいものです。

場合によっては、綺麗な撃ち方にはならない場合があります。でも、そのほうが効果的な時もあるのです。

一撃必殺でもありませんので、多くの捨てパンチも多用して本命のパンチを当てる準備をします。

では、ボクシングやキックボクシングのほうがいいのでは・・・なんて思うのですが、年を経てくると体もだんだんという事をきかなくなるし、痛むところも年々増えてきます。

そう考えた時に、ボクシングなどはやることがなくなってくるのです。空手には、基本も型もあります。ボクシングは、基本は対人です。1人で行う練習も多いですが、やはり対人練習です。

長く続けて体力維持も出来るのはどちらだろう?それに、礼儀作法という意味でも道場は教えてくれる先生や先輩がいます。ジムは来ても、自分の練習をして終わりです。特に、礼儀作法はありません。(武道系出身の先生の場合はあります)

色々な格闘技を見ても、それぞれの動きを見ていると参考になる動きなども沢山あります。結局、それぞれの競技があってそれぞれが技術などを高めていくのが一番いいと思いました。

また、なにかしらの格闘技を初めてみたいところです。少しだけ練習した居合もまたやってみたい。

 

どちらかが一方的に益があるのは長く続かない

ふるさと納税」の返礼品が高額なものであったり資産価値の高い物が多いのが問題になっている。
もともと、ふるさと納税は自分の出身地の市などに寄付ができ、その分は寄付としてカウントされ減税になる制度というスタートだったと思う。

そこから、寄付に対して「返礼品」という形で地方の特産物などを贈る仕組みが出来てから、「ふるさと納税」がブームになった。
ただ、この仕組みは住んでいる都市に収めている住民税を他の市などに移す仕組みで、納税をしていないと意味がない。

例えば・・・東京都・・・厳密には区になるのだけど、大きく東京で納税して、年に20万円を納めていたとする。
出身地の田舎町という所があったとして、「ふるさと納税」を利用して、田舎町に1万円を寄付するとすると、東京都への納税分が田舎町で移ることになる。手続きが発生するので、手数料がかかるけど、返礼品を考えると「ふるさと納税は得」ということで、利用する人が増えていった。

ただ・・・逆に地方の都市間で納税額が変わって格差が発生したり、都市の行政の納税額が減るなどの問題も指摘されている。

純粋に税金を納めていた額を他の町などに寄付するだけで、返礼品が来るわけだから、利用者にとってはメリットしかない。
返礼品の額が、寄付額の8割くらいになっている所もあるようだけど、その市は「全額返すくらいの気持ち」だったらしい。

というのも、返礼品で地元の品物を贈ることで、PRになるし地元の企業を使うことで地元経済が活性化するという目論見だから。
行政で使うにしても、変動するものだから使う方法にも困る。なにかの運営費にしてしまうと「ふるさと納税」の額が減ってしまうと運営できなくなってしまう。

別の行政では、保育園の費用を無料化に。結果的に、他の所から人が移住するという効果が出ていた。人が来ることで、毎年の税金も増えるし、経済も活性化される。

一時的な効果だけでなく長期的な効果が期待できる。

ただ・・・人が移り住んでも「ふるさと納税」を使って、他の所に納税されてしまうと移住してきても・・・

住んでいる所で、様々な行政サービスを受けているので、「ふるさと納税」にもある程度の限度は必要だと思う。